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前進してる感

「目で見て手で触って 自分が何やってるのかちゃんとわかることを仕事にしたいと思ったんだ 弁当屋は作って買ってもらって食べてもらうっていうのが すごいシンプルで具体的でしょ それが楽しいんだ お給料安いけど気分はいいよ」(『にこたま』1巻94頁 著者:渡辺ペコ)

 
さっき読んだ漫画で、登場人物がこういう台詞を言う場面があった。人間が働く理由については疑問が沢山ある。これについては自分のことすら分からない。たまたまある方面に適性があって、学ぶ機会があって、経済的な事情に合致した、その結果に過ぎないという風に考えることもできる。この方面に興味を持ったことすら、周囲の環境がたまたまそうであったからかもしれない。
 
誰かが決定論という言葉を教えてくれたけど、その言葉を知ったこと自体にあまり意味はなかった。ただ、強く信じられる確かなものが欲しいという欲求があることは分かった。自分が何をやっているのか分かる範囲から、少しずつ前進していきたいという気持ちがある。
 
少しずつ前進と言って想起されるのは、週末久しぶりにやった料理の話。料理はとにかく変数が多い。材料の分量もそうだし、種類もそうだし、調理方法とか、手順一つとっても時間や温度が変わると全然別の結果になる。評価の方法も難しく、お腹が減っているときに食べるものは大体なんでもうまい。ただ統計的に見ると評価結果に特徴があって、やっぱりうまいものとまずいものがある。エイヤでやって上手くいきました OR ダメでしたではなかなか上達しない。こういう条件下で学習を進めるには、とにかくほとんどの変数を固定しながら、一要素だけ変化を加えて結果の差異を調べるということを何度も繰り返す必要がある。こういう調子ではつらすぎる。
 
レシピを見てつくるという方法があるけど、レシピからはそういう失敗や成功のコンテキストが抜け落ちていて、学びが少ない。プログラムで例えるなら、コードの内容をあまりよく知らずにコピペで何とかやっているような感じ。どういう背景でそういうことになっているのかが知りたい。そういう料理の知見がまとまっている物を探してる。オススメの本とかサイトがあれば教えてほしい。
 
最近ダークソウル2っていうゲームをやっていて、これはとにかく少しずつ前に進んでいるという感覚が面白い。死んでしまうたびに篝火と呼ばれる休息地に戻されるんだけど、各地点に配置されたボスのところに辿り着くまでにとにかく何度も死ぬ。一対一でも大体やられる敵が三体ぐらい同時に出てくる箇所が篝火からボスまでの間に何箇所もあって、繰り返し繰り返し死んでいく。そしてボスまで辿り着くととりあえず最初は何が起こったか分からないまま光に包まれて死ぬ。ちなみに一度死ぬたびに最大HPが徐々に減っていく。
 
こういう調子でひたすらつらい冒険を続けていて一体何が楽しくてそんなことやってるのという感じなんだけど、さっき言った通り少しずつ前進している感覚がとにかく楽しい。暗い雰囲気が続くこのゲームで唯一希望と呼べるものがあるとすれば、それは前に進んでいると感じられること。ああこの敵が右手を下げたら横に避けないと死ぬんだとか(知見1)、右手を下げる動きにも2パターンあって横に避けたら死ぬやつもあるんだとか(知見2)、この敵ここで倒したら後ろから別の敵に殺されるんだとか(知見3)、そういう知見がどんどん溜まっていく感じが「自分は確かに前に進んでいる」という希望になる。この「確かなもの」が増えていく感覚が楽しい。
 
これがもし、何かよく分かんないけどガチャガチャ連打してたら勝っちゃったみたいな感じだったら、こういう楽しさを覚えることは決してなかった。別にこのゲームだけに限った話じゃない。現実世界も死んだら終わりな分なかなか難易度が高い。今回の知見は、確かなものがほしいという欲求が自分にあるということ、それから「自分か何やってるかちゃんとわかること」が、確かなものを感じるために重要な要素だということ。
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